learn 【日本の文化・思想】
令和元年7月21日(日)
新宿7時30分発特急あずさ3号で小淵沢駅に向かいます。
塩山を過ぎてほったらかし温泉方向をパチリ
小淵沢駅と正面の山並み。井戸尻考古館までお迎えの車で送って頂きました。
(拡大)
なんと富士山が!!
(井戸尻考古館まえの駐車場)
小松隆史井戸尻考古館館長よりご挨拶と地震時の注意をいただいて
縄文解説を始めて頂きました。
考古館の前方の山並みの手前を糸魚川静岡構造線
が走っており考古
館は中央地溝帯の西端に位置しているそうです。
また、考古館のまわりも遺跡だらけ(未発掘)で掘れば遺跡がザクザ
クとのことです。
【注(長島)】
以下、展示物の写真は館長にご同席戴いているということで特別に
許可を頂いて撮影しています。
また小松隆史館長のご解説を要約として『』書きで記述しましたが、
聞き間違えや理解不足での誤りがあり得ることをご了承ください。
1510
展示室入口にある壺(写真左)は約6500年前のもので、形になって見
れるもので、井戸尻考古館に有るものとしては最古の物とのことです。
また、展示室は時代順に土器が並べてあり一周すると土器の形や模様
がどのように変わっていったかが見れるように展示してあるそうです。
1511
弓矢(復元)
1512
矢(復元)
1532
黒曜石で出来た矢じり
信州産の黒曜石は非常に質が高く、北は北海道から西は奈良県まで
広がっていたことが確認されているそうです。
1513
石の鍬(復元。手前側が石の鍬。奥の方は比較の為の鉄製の鍬)
『縄文人は狩猟採集民族のイメージが強いが八ヶ岳の遺跡を掘って
も黒曜石の矢じりは住居の中からあまり出てこない。
なにが沢山でてくるかというと石鍬が十も二十も三十も出てくる。
井戸尻考古館は25年前からずっと縄文人は農業をやっていた(縄文
農耕論)と言い続けていたがこの25年間で縄文人は食物栽培をして
いたことが研究で明らかになってきた。』
1534
石草鋤(いしくさすき)
1468
『井戸尻考古館の土器はこの後、夏から秋にかけて各地に貸し出し
中になる。
なぜそんなに人気があるかと言えば「芸術的だから」といわれるこ
とがよくある。』
『なにが芸術的であるかというと縄文人は土器を飾るとき、「土器
を磨いて、絵を描く」ではなくすべて立体でやっていることが芸術
的であると評価されている。』
1469
『ただし、縄文人たちは「芸術作品を作ろう。」とはこれっぽっち
も思っていない。そもそも土器とは何なのか。圧倒的多数は鍋であ
る(内部にお焦げがついているものもある)。
縄文時代の古い頃の底が尖った自立出来ないものは囲炉裏に埋めて
使っていた(熱効率も良かった)がだんだん時代が下がって来るに従
って、鍋としての機能がおかしな方向に行ってしまう。
使いやすさという機能性を犠牲にしても精神性を優先してしまうよ
うになった。』
1491
『その精神性とは何か。それは例えば、神様の物語、神話であった
り精霊のようなもの或いは血族や世界観、祈りや願いみたいなもの
をこめたのではないか。
けれど御覧になってもどれが神様か、どれが祈りか、何が世界観か
全然わからないので(小松館長が)ご案内するときは三つの大事なキ
ャラクターを御覧戴くことにしている。』
1473
『1.土偶、女神像(新しい命を与えてくれる)
2.蛇(不死、再生)
3.蛙(月の満ち欠けと重ね合わせて、死んでもまた蘇る、復活を
表している)
縄文人が使いやすさを犠牲にしてまで表現しなきゃいけなかったも
ののごくごく一部分であるが彼らが命とか生きるということとどれ
だけ正面から向き合っていたかということが分かって来た。』
1494,1525 始祖女神像(しそめがみぞう)正面(左)と背面(右)
1493 蛇を戴く土偶(へびをいただくどぐう)
1487,1524 蛇を戴く土偶(へびをいただくどぐう) 正面(左)と背面(右)
1523
人像の腕が蛇
腕も蛇も三日月の表徴
久兵衛尾根44号址
1495,1496 人面または人首の神
1477
水煙渦巻文深鉢(すいえんうずまきもんふかばち)
縄文中期中葉
約4400年前
1498
水煙渦巻文深鉢(すいえんうずまきもんふかばち)
と
渦巻文深鉢(うずまきもんふかばち)
縄文中期中葉
約4400年前
1501
四方神面文深鉢(しほうしんめんもんふかばち)(左)
縄文中期中葉
約4500年前
と
蛙文有孔鍔付壺(かえるもんゆうこうつばつきつぼ)(右)
縄文中期中葉
約4500年前
1506
(拡大)
1526,1527
1528,1529
1530,1531
1486
1475
香炉形土器(こうろがたどき)
縄文中期中葉
約4500年前
1485
香炉形土器(こうろがたどき)
縄文中期中葉
約4400年前
1474
人面香炉形土器(じんめんこうろがたどき)
1481,1483 神像筒形土器(しんぞうつつがたどき) 正面(左)と背面(右)
1480,1482 神像筒形土器(しんぞうつつがたどき) 右側面(左)と左側面(右)
1500
環状集落復元想像図(拡大)
居平遺跡 曽利期
1504
解説をされている小松隆史井戸尻考古館館長(写真右側)
1517
小野先生と小松隆史館長
1519
小野先生と十川さんと小松隆史館長
1514
井戸尻文化主要遺跡分布図(拡大)
1515
(拡大)
1509,1508 竪穴式住居(復元)
1520
富士山(拡大)
木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめ)が終講までずっと
見守ってくれました。
1535
十川さんから開講のご挨拶
大嘗祭のこころ
全員で富士山に向かって大祓詞を奏上して、小野先生の「大嘗祭のこころ」を聴講いたし
ました。
1538
直会(懇親会)
お昼のお弁当と直会(懇親会)には"ゆば工房蓼科びーんず 古民家か
もすや"の有浦順子さんがおいしいお料理を出してくださいました。
有浦さんおいしかったです。ありがとう。
【ご参考】
ビジンサマ・マルシェ2017出店者紹介 ”蓼科びーんず 古民家かもすや”
2017/07/06 に公開
ビジンサマ・マルシェ
1539,1540 帰りは信濃境駅まで歩きました。
1543,1554 信濃境駅
1558
小淵沢駅から特急あずさ30号で新宿へ
参加証
全員にお土産として十川さんから頂きました。十川さん、スタッフ
のみなさんありがとうございました。
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