learn 【日本の文化・思想】
ー古事記ーむすびの里ー神武天皇ー木花之佐久夜毘売命ー循環の旅ー
令和元年8月16日(金)~8月19日(月)
1601
名古屋駅前のジュンク堂書店 名古屋店前でIさんと待ち合わせしました。
1602
小野先生お薦めの「本居宣長記念館」です。
1604
館長の吉田悦之(よしだよしゆき)先生がご案内してくださいました。
1605
1606
宣長17歳のときの日本地図。
松阪は伊勢神宮への通り道なので伊勢の神宮までやって来た人の話を聞いて作ったそうです。
1607
「真淵もびっくり」
宣長が師事した賀茂真淵から「古代人になれ」と云われたそうですが、
本居宣長は賀茂真淵の想定を遥かに越えていたとのこと。
1608
国重要文化財の「古事記伝 巻10」
書体の統一も見事ですが濃淡の差が一切ないそうです。
1609
「都考抜書(とこうばっしょ)」(宣長十代後半の筆)
ノートやメモはとても細かな字で記入してあります。
1611,1612 宣長が26歳のとき購入した『古事記』の手沢本と
付箋
1616
1618
本居宣長七十二歳像
当時の写実はとても優れていて、本人を実際に見た人は「絵とそっくりだ!」と驚いたそうです。
1621,1623 国指定特別史跡 本居宣長旧宅(説明文)
1625,1626 庭と屋内
1628
奥の間
掛け軸は本居宣長六十一歳自画自賛像
1638
吉田先生と記念写真を撮ってもらいました。
1641,1642 お腹がすいたので松阪牛を食べようと牛銀さんへやってきました。
1645,1646 洋食牛銀で「牛丼 上」を頂きました。ちなみに上と並の違いは量ではなく質だそうです。
1647,1648 13:38。予定より40分遅れて、飛鳥神社に到着しました。先ずは参拝です。
1649
ひさ(8/17撮影)
台風で畑の野菜と田んぼの稲が倒れたので、着替えて畑仕事、稲おこしを手伝いました。
作業しながら写真を撮る余裕はなく、自分の汗の塩をおいしく感じて舐めました。
おかげで夕食は皆さんと稲起こしの辛苦(たしなみ)を語らいながらおいしくワインを飲みました。
食後、熟睡です。
1655,1658 畑。倒れた野菜を川べりの竹を切り出して支えました。(8/17撮影)
1659,1660 田んぼ。台風で倒れた稲を一株一株反対方向に起こしました。(8/17撮影)
1661,1663 写真左は猪に倒された田。写真右は隣の田との違い。(8/17撮影)
1668,1667 朝の散歩。波瀬戸橋の上流(左)と下流(右)。全く濁っていません。
1675,1677 むすびの里駐車場、【士卒復覚(しそつふっかく)塾】と【むすびの湯】
(拡大)
1679,1680 【韴霊(ふつのみたま)道場】。奥川さんが朝練をされていました。
1683 【夢見所】
1685,1689 【保食(うけもち)の館】
1695
「ゴッホ自画像」を真似てみる。
1696
1698
裏山の「山の神」周辺の片付け方法を荒谷先生に教えて頂きました。
1699
山の神
山に手を入れることのお許しと、作業の安全を祈って大祓詞を奏上しました。
山の神周辺の手入れは仲間の相羽完太郎君が手伝ってくれました。
1703
チェーンソー(ややカメラ目線です)
長い丸太はチェンソーで切断し、薪に使えるものは【夢見所】の傍に運び、使えないものは一か所に集めました。
1706
20分働いては10分休憩の繰り返しです。
休憩の時完太郎君がお茶と塩飴を持ってきてくれました。感謝です。
1715
荒谷先生に紙垂(しで)の作り方を教わり、平原さん、脇坂さんとみんなで注連縄(しめなわ)を作りました。
1718
先生と一緒にみんなで注連縄を張り、大祓詞を奏上しました。
大石さんが記念写真を撮ってくださり、むすびの里ブログにも
山の神 として紹介してくださいました。
ありがとうございます。
1726,1731 大又川の禊祓場で川遊び。
1732
【韴霊(ふつのみたま)道場】の謎の美少女
家族の井口桂子さんです。
1736,1737 待ちに待ったむすびの湯です。
1743
残念ですが見せられません!
1744
出かける前の朝の畑の見回りです。
1747
石垣。先人たちのたゆまぬ努力の積み重ねです。
1749
お別れの写真は撮りません。(行間を読んでください。)
稲が無事育ってくれることを祈って出発しました。
1750
一路、橿原神宮を目指します。
途中、柿の葉寿司(鮭、鯖)を美味しく頂きました。
1752,1753 一の鳥居
1754
南神門
(橿原神宮 御鎮座百三十年の案内図)
1756 参集所
回廊を通って内拝殿に昇殿参拝しました。
1757,1758 参集所内の「神嶺浄光(しんれいじょうこう)」(左)と「青霽白嶺(せいせいはくれい)」(右)
1759
外拝殿
1761,1760 さざれ石(左)(説明)と歌碑(右)
1763,1766 深田池(左)、南神門前にて(右)
1768,1769 神武天皇稜
1770,1772
1773,1774 ラーメンが食べたくなりらーめん砦 京町堀店で元祖貝白湯を頂きました。
1777,1783 大阪駅でIさんと別れ、一人旅です。
1785 23:52 仮眠しながら富士山へ
1787 05:35 一路富士山へ
1788
第二大鳥居
浅間大社 境内案内図
1793
石鳥居
1795
楼門。中央は鉾立石
1798
拝殿
御由緒
1799
本殿
1801,1806 湧玉池(左)と御霊水(右)
1807,1808 湧玉池の御霊水傍の禊所(左)と国指定特別天然記念物 湧玉池(右)
1809
東鳥居
1814
駿州赤心隊顕彰の碑
1816
社務所
昇殿参拝し心願成就の御祈祷(おはらい)を受けました。
【おまけ】ひょんなことから実験道場のTAKEchanと 決めポーズしてしまった。
【参考】
心力をつくして
ー本居宣長の生涯ー
発行日 平成二十五年四月七日 第1版第1刷発行
発 行 『宣長さん』吟詠剣詩舞道実行委員会
著 者 本居宣長記念館 館長 吉田 悦之
新版 本居宣長の不思議
発 行 日 平成二十五年十一月五日
編集・発行 公益財団法人鈴屋遺跡保存会
本居宣長記念館
日本人のこころの言葉
本居宣長
2015年5月10日 第1版第1刷発行
著 者 吉田 悦之
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「はじめに」より以下引用
明和五年(1768)与謝蕪村は、
稲づまや 浪もてゆへる 秋つしま
という句を作りました。稲妻の閃光が暗い海に浮かぶ日本列島の姿を映し出す、まる
で宇宙空間から見たような情景ですが、よくこの時代の空気を伝えています。
宣長はそんな時代風潮の中で『古事記』を読むことで「日本」という国を明らかに
することを試みたのです。
引用終わり
宣長にまねぶ
平成二十九年二月二十五日 第一刷発行
著 者 吉田 悦之
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「あとがき」より以下引用
無理をすることはない。出来ることから始めることだ。しかしその一歩を踏み出す
前に、先ず自分の位置を確認すること、そして志をたてること、そこから真似たらよい。
それにしても、宣長の周りにはどうしてこんなに素晴らしい人たちが集まってくる
のだろう。まさに、パール・ネットワークである。それは今も素晴らしい出逢いを生み
出し続けている。
引用終わり
開館三十五周年記念Ⅲ 本居宣長展
発行日 2017年9月30日
監修 吉田悦之(本居宣長記念館館長)
本居宣長年表(稿)
2018年3月17日 発行
編 集 公益財団法人 鈴屋遺跡保存会
本 居 宣 長 記 念 館
本居宣長記念館 夏の展示解説書2019
わたしの宣長ノート
ー開くと聞こえる、古代の「おと」
令和元年年7月発行
発 行 公益財団法人鈴屋遺跡保存会
本居宣長記念館
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